こんにちわ!CRAワークサポートセンター、職員中島です。

 

エリザベス・キューブラー=ロスの著書『死ぬ瞬間』に書かれている『死の受容のプロセス』をご存知ですか?

 

否認・隔離

自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
なにもできなくなる段階である。

受容

最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

私は学生時代にこれを学習し、最近まで記憶の奥に仕舞われていましたが、

今の仕事に就いて『障害の受容』という言葉を耳にしだしてから思い出しました。

『死ぬこと』を『障害』に言い換えるという話です。

障害の受容の場合最後は「自分の障害を受け入れる」になりますね。

ただ、似ているけれども、そのまま当てはまりはしないと私は感じてます。

 

私自身は、前職でうつ病を発症してから、現在までを振り返ると、

ああ、そのまんまだったなと思います。

では、今は『受容』できてるのか?というと、まだ少し抵抗している部分もあります。

ただ、これは私の障害がうつ病であり、寛解という状態があるからかもしれません。

治ったのではないけれど、症状が落ち着いていて日常にすごく困るというほどでなく、仕事ができるくらいという状態です。

どんな時に調子を崩すのか、無理が効かないか、できなくなったことを諦めるのか努力するのか、

まだまだ葛藤しています。

私は障害とまでいかないけれど、難聴がありますが、今は周囲に話し、補聴器と上手に付き合ってます。

受容していると言えるでしょう。

でも、難聴を指摘された最初の日からウン10年かかりました。

 

『受容』の段階まで行ったからといって、他の段階にならないか?というと、

そうではないと思っています。

『怒り』『抑うつ』になることもあるでしょう。

ただ、それが少なくなって、自分の障害と向き合うこと、それには諦めも含まれると思います。

『受容』という段階になったら幸せが訪れる、前に進めるものだけではないということを頭に置いて、

では前に進むには?最善の道は?を通所メンバーさんが考えていけるような支援を心がけていきたいです。